「エチオピア:コーヒーの揺かご」誕生の舞台裏
バシャコーヒー著 Fraser Morton | 2025年 9月 30日
|3 分 | バシャコーヒー
映画監督とともに、シダマとイルガチェフェを巡る魅惑の旅へ── 世界最高のコーヒーが育まれた地で、その起源と味わいを辿ります。

プロペラ機がアディスアベバを離陸し、南へと旋回した。薄い空気の中でエンジンが震え、眼下には、トタン屋根が連なる街並みが次第に遠ざかり、果てしなく広がるユーカリの森、そして大地を割るように連なるリフトバレーが姿を現す。
向かいの席の乗客がふと身を乗り出し、まるで秘密を分かち合うような笑みを浮かべた——。
「あなたは、私の故郷へ行くんですね。」彼はそう言って、やさしく微笑んだ。
「きっと気に入りますよ。シダマは——この地上でいちばんの楽園です。」
小さな窓の向こうに、悠久の谷が広がっていた。朝の光を受けた湖が、ガラスのようにきらめき、幾重にも折り重なる稜線は、まるで時を止めた赭(おうど)色の波のように連なっている。
ホーサの空港への降下は、突然だった。
滑走路は、名を冠したホーサ湖と丘陵地帯のあいだに、細く押し込められるように延びている。
湖面では、漁師たちが細い葦の舟に身を預け、
銀色の網が陽光を受けてきらめいていた。
フェンスの向こうでは、子どもたちが手を振り、飛行機の車輪が地面に触れるたび歓声が上がる。
ここはシダマ。世界でも屈指のコーヒー生産地として知られる土地。そしてこれから1週間にわたり、私たちが新たなフィルムシリーズ『バシャコーヒー — コーヒーの起源を巡るた旅』の第一作を撮影する場所でもある。
—— ようこそ、第1章へ。『エチオピア:コーヒーの揺かご』の舞台裏へ。
シダマやイルガチェフェでは、コーヒーはまるで生きた記録のように、畑や焙煎の炎、そしてカップの中に息づいています。日々とともに、いくつものコーヒーが流れていきました。 私たちはそのすべてを味わいました──文化も、おもてなしも、そしてコーヒーを育む職人たちの技も。
コーヒーの揺かごーその物語の始まりへ
エチオピアにおいて、コーヒーは単なる嗜好品ではありません。それは、人々の暮らしそのものです。何しろ、コーヒーの物語はこの地から始まったのです。
伝説によると──9世紀、カッファの高地に暮らす羊飼いカルディが、森の中で不思議な赤い実を食べた山羊たちが、夜通し跳ね回って眠らない様子を目にしました。興味を抱いたカルディが自らその実を口にすると、こうしてコーヒーとその“魔法の力”が人類の歴史に刻まれることになったと伝えられています。
いまやコーヒーは、世界中で愛されるひとつの“儀式”となりました。水とお茶に次いで、地球上で最も多く飲まれている飲み物。毎日、何十億ものカップが淹れられています。
けれどそのルーツは、ここ──この高地にあります。最初の豆が摘まれ、煮出された場所。
そして今日もなお、カルディの山羊たちがかつて歩いたのと同じような斜面で、コーヒーは静かに育ち続けています。
村々を抜け、道沿いを進むと、炭火の上で豆を煎る女性たちの姿が見えてきます。鉄鍋の中で豆がパチパチとはぜ、香ばしい煙が立ちのぼる。その甘い香りは、乳香の鋭い香りと混ざり合い、空へとゆらめいていきます。家々の戸口では、子どもたちが集まり、私たちに手を振ってくれました。
家の中でも、道沿いの休憩所でも、小さなカフェでも──
ここでは誰もが、コーヒーの儀式を大切にしています。
私たちはホストと並んで低いスツールに腰をかけ、ゆっくりと注がれ、静かにすする音に合わせて、時間の流れが穏やかに緩やかになっていくのを感じます。言葉の合間の沈黙、部屋に響く笑い声──すべてがひとつのリズムを奏でています。
ここでは、コーヒーは人とともに味わうもの。友や家族の間で交わされる、小さな心のしるしです。一杯ごとに人が集い、隣人や友人、そして見知らぬ人との絆を確かめ合う。この美しい国では、コーヒーがその絆の証なのです。
私たちはさらに奥へ──
高地産アラビカで世界に名を知られる、エチオピア最大級のコーヒー産地シダマの中心へと車を走らせます。
コーヒーはこの地の暮らしを支える柱。多くの家庭がその仕事によって生計を立てています。「偽のバナナ」とも呼ばれるエンセテの畑が、トウモロコシや大麦、小麦と並んで広がり、丘の斜面では家畜が草を食む姿が見られます。それでも、この地の名を国境の彼方まで知らしめているのは、他でもないコーヒーなのです。

地上の楽園、シダマ
私たちはハワッサを後にし、シダマの山あいをさらに奥へと進んでいました。未舗装の道路を四輪駆動車で揺られながら、すでに五時間が経っていたのです。
道はゆるやかに曲がりながら、シダマ高原へと高度を上げていきます。雨が突然畑を叩きつけ、すぐに止むと、嘘のように澄み渡る青空が広がりました。幾重にも重なる丘は霧に包まれ、赤土の大地は鉄と水の香りを含みながら、私たちをさらに深く──コーヒーの故郷へと導いていきます。
この気候のもとで、コーヒーの木々は力強く育ちます。枝には真紅の実がびっしりと実り、緑深い山々を背景に、まるで宝石のように輝いています。農家の人々は肩に籠をかけ、列の間をゆっくりと歩みます。その手の動きは速く、そして確かです。
彼らの仕事は静かで、落ち着いていて、決して急ぎません。季節も、大地も、そしてコーヒーの収穫のすべてを知り尽くした人々だけが持つ、穏やかなリズムに満ちています。
私たちは、コーヒーの水洗いや天日乾燥の工程を見学しました。農家や地域の協同組合の人々と出会い、この土地と手仕事にまつわる物語に耳を傾けながら、行く先々でまるで旧友のように迎え入れていただきました。
村々を通り過ぎると、戸を開け放った家々の中で、焙煎の炎に照らされて輝く鍋がちらりと見えます。豆が色づき、はぜる音が夜の空気に溶けていきます。
差し出されるカップに特別な儀式はありません。それでも、その一杯一杯には、この地域が誇るあたたかな心とおもてなしの精神が込められています。この旅そのものが、異国の訪問者をどんなふうに迎えるべきか──その答えを、優しさと好奇心とともに教えてくれたのです。

旅は、イルガチェフェへと続く
シダマの南へ向かうにつれ、土地は次第に傾斜を増し、背の高い木々の陰が広がるにつれて、コーヒーの風味もまた変わっていきました。イルガチェフェの農園に到着して、最初にするべきことは決まっていました。それは、ホストと私たちにとって何より大切なひととき── 一杯のコーヒーを味わうことです。
木陰の下で腰を下ろし、膝の上に小さなカップをそっと置きました。風が畑を渡り、遥か彼方には霧に包まれた神秘的な谷が広がっています。オレンジ色の太陽がゆっくりと空に沈んでいく中、私たちはこの豊かな自然の楽園を心ゆくまで味わいました。
その繊細な味わいは、栽培に携わる人々の丁寧な手仕事そのもの。ジャスミンやシトラス、蜂蜜を思わせる香りが重なり合い、旅人がどこよりも望む、あたたかな歓迎のように感じられます。
この一杯を口にすることは──まさに、この大地そのものを味わうことなのです。
シダマやイルガチェフェでは、コーヒーはまるで生きた記録のように、畑や焙煎の炎、そしてカップの中に息づいています。日々とともに、いくつものコーヒーが流れていきました。私たちはそのすべてを味わいました──文化も、おもてなしも、そしてコーヒーを育む職人たちの技も。エチオピアのコーヒー栽培の起源を巡る旅のなかで、私たちは見たもの、感じたものをひとつひとつ記録していきました。
手仕事を見つめる旅

コーヒーの調達は、デスクの上だけでできる仕事ではありません。それは、コーヒーチェリーが実る土地を訪れ、畑で農家の人々と出会い、彼らの家で一緒にカップを分かち合うこと。収穫の方法を学び、豆の洗い方を知り、そして、コーヒーを日々の中心に据えて暮らす人々の営みに触れることです。この仕事の本質は、風味を追い求めるだけでなく、
人と人とのつながり、そして信頼のある取引にこそあります。
私たちがカメラを手にシダマとイルガチェフェを訪れたのは、まさにその瞬間を記録するためでした。アラビカが高地から世界へと旅立っていく、その道のりを自分たちの目で確かめたかったのです。
この地で収穫された豆は、険しい道を抜け、山を越え、検問所や賑やかな市場を通り抜けて、ようやくアディスアベバへと運ばれます。
そこから、豆の新たな旅が始まります。マラケシュのバシャコーヒーで焙煎され、
やがて世界中のテーブルとカップへ──その香りとともに届けられていくのです。
スパイスやカカオ、そして思いがけない花の香り──その豊かな風味は、まさに祝福のように讃えられています。けれど、その香りの奥には、大地と人の営み、そして果てしない旅の物語が息づいています。
もし豆たちが語ることができるなら、きっとこう伝えるでしょう。自分たちを摘んだ手のぬくもり、焙煎の炎の記憶、そして、自らを運んだ長い道のりのことを。
あっという間の五日間が過ぎ、私たちは最初の作品を完成させるため、バシャコーヒーの故郷──マラケシュへと戻る時を迎えました。けれど、これは「コーヒーの起源を巡る旅」のほんの始まりにすぎません。このシリーズはエチオピアから幕を開け、これからブラジル、コスタリカ、そしてその先の地へと続いていきます。それでも、シダマ高原の夜明けに味わったあの一杯の記憶は、すべての始まりを思い出させてくれる、永遠の原点なのです。